2011年10月20日

仕向ける神様 〜その2〜

「仕向ける神様 〜その1〜」で紹介した原理講論の部分の続きには、アベルとカインのどちらを神が対応する立場に立て、どちらをサタンが対応する立場にたてるのかを説明していますが、結論として神様はアベルが神と対応できる立場に立て、カインをサタンが対応できる立場に立てています。しかし、神様にも事情があったのです。

『ところで、カインとアベルはどちらもエバの不倫の愛の実である。したがって、エバを中心として結んだ二つの方の不倫な愛の行為を条件として、それぞれの立場を二個体に分けもたすべくカインとアベルを、各々異なる二つの表示的立場に立てるよりほかに摂理のしようがなかったのである。(原理講論292頁)』

神様にとって、カインもアベルもエバの堕落の実であることには変わりがないのです。どちらも同様の立場であるのですが、それでもそれぞれの個体に善を表示する立場、悪を表示する立場としての使命をもたせることでしか、『摂理のしようがなかった』というのです。

どちらも神様にとっては救いたい人間であるにもかかわらず、そうするしか救う方法がなかったという神様の事情があったってことなのか!

全知全能の神様にできないことがあるのか?と思われる方もいると思いますが、原理講論を読んでみると神様の事情があったと考えるしかないのです。

そして聖書の創世記4章6〜7節には『そこで主はカインに言われた。「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか、正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しいことをしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せしています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」』とあります。

この部分は、NORIさんとしては神様がカインがどのように供え物を準備して、どのような気持ちで神様に供え物を捧げたのか、よく知っていたのだと思います。だから『正しい事をしているのでしたら顔をあげたらよいでしょう』と語られたに違いないと思っています。

そして、カインの中に憤りの心がわき上がってくることを知っていたのだと思います。だから『それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません』と語られながらカインの憤りを治めるように諭していたのではないでしょうか?


<続き>

ところで、神様は無条件にアベルの供え物を受け取られたのかというと、そうではなかったのです。
『神はアベルの供え物は受けられ、カインの供え物は受けられなかったが、その理由はどこにあったのだろうか。アベルは神が取ることのできる相対的な立場で、信仰によって神のみ意にかなうように供え物をささげたから、神はそれを受けられた。・・・(原理講論293頁)』

アベルの供え物は単に神様が対応できる立場だけでなく、神様が受け取れるような信仰と「神様の願いにかなった供え物」をしていたということだったんですね。

さらに原理講論には、『神がカインの供え物を受け取られなかったのは、カインが憎いからではなかったのである。ただ、カインはサタンが取ることのできる相対的な立場に立てられていたので、神がその供え物を取ることができるような何らかの条件をカイン自身が立てない限りは、神はそれを取ることができなかったのである。(原理講論293頁)』

とあります。その中で、「何らかの条件」とは何でしょうか?
それは「堕落性を脱ぐための蕩減条件」のことですね。

そうか!!
そうなんです。

神様は、最初からカインの堕落性を誘発させるように仕向けて、カインが堕落性を脱ぐように諭したのですね!!

さらに原理講論にはこのような箇所があります。
『「堕落性を脱ぐための蕩減条件」はカインが代表して立てなければならない・・・(原理講論299頁)』

つまりは、堕落性を脱ぐための蕩減条件はカインだけではなく、アベルも協力する必要があるということだとNORIさんは考えます。

神様は人間全てを救いたい。しかし、神様が対応できる立場、サタンが対応できる立場に分けなければ摂理をすることができない。そしてさらに、神様が対応できる立場に立てた人物が、神様が受け取ることのできる内容がなければならないということです。そういう人物がいて初めて、サタンが対応できる立場にいる人物が、堕落性を脱ぐための蕩減条件を立てることで、神様が両方の立場を救うことができるようになるということなのか。

なんと複雑な事情を持っている神様なんでしょうか?
神様だけでなんとかなるものではなく、人間の立ち回りが非常に重要なんだ!
全知全能の神様ではなく、人間一人を救うために、神様が人間に頼りながら救いの摂理を続けてきたのだ
と思うと、心を痛める神様を思わずにはいられません。

アベルにもカインにもいろんな感情あったのは当然でしょう。

しかし、神様にもこのような複雑な事情があり、人間を救うために、このような方法しかないとしたら、どれほど大変でしょう。原理講論の復帰摂理に関するところを読むと、このような方法で人間を救うための摂理が繰り返されている事が分かります。

複雑な事情を抱えたまま、人間を救い続ける神様。あきらめる事なく続く救いの摂理に、神様の無念と涙、人間の無知と不幸が複雑に絡まった歴史は、神様にとっても人間にとっても言うに言えないつらい歴史なのだとNORIさんは思います。


もしかすると「仕向ける神様」に私も、あなたも何度も出会っているのかもしれませんね。
統一原理っておもしろい!!
posted by NORIさん at 14:49| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 統一原理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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